平和な縄文人とヤーガン人

2015.9.9

 

本題に入る前に…

 

僕は、古墳とか遺跡とかに、どうしてだろうか、とても惹かれてしまう。
とくに、縄文から弥生、古墳時代までが好き!だ。

 

kodai01.jpg

 

いつか息子が遊んでくれなくなって、時間ができたら古墳めぐりをしてみたいと思う。
というか学生時代からすでにやっているのだが。

kodai02.jpg

 

↑最近面白かった本。

 

 さて、これからツラツラと書いた文は、そういう趣味の結構面倒な文だ。
と言っておこう。難しくはないよ。

 

では本題

 

今年の5月。
最新のDNA解析で、縄文人のものと考えられるY染色体のDNAグループが見つかったそうだ。

どーゆーこと?

男性のY染色体は、『A』から『T』の20のグループがある。
『A』が一番古いタイプで『T』は新しいタイプ。
古いものほど、アフリカに多い。
その内の『D』タイプという、わりと古いグループが日本人に3割ほどもいることが分かった。
しかーし。
韓国や中国はほとんどの人が『O』タイプ。
ところが!
日本人の半分は『O』タイプだが、二番目に多いのが『D』タイプ。

日本人は、縄文人と大陸から来た弥生人によるハイブリッドだ。
とすると、
弥生人(大陸系)が『O』タイプ
縄文人が『D』タイプだと考えられるそうだ。

つまり。
日本人はどうも、DNAレベルで見ると朝鮮半島や中国の人とは「違う」そうなのだ。
人種差別しようってことではない。
現実に日本人は東アジアの他の民族と明らかに「違う」のだ。

では『D』タイプが多い地域は、他に世界のどこにあるのか。

答えは、たったの二カ所。
チベットとインド洋のアンダマン諸島だけなんだそうだ。

へ〜っ!、と来る。

と、ここまでは、以下のNHKのページで詳しく載ってます。
興味ある方はどうぞ。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/05/0529.html

さて、まずこれが3段論法の一個目。
2個目は、
冒険家で有名な関野吉晴さんの話から。
南米の民族について非常に詳しい関野吉晴さんはテレビでこんなことを言っていた。

「人類がアフリカを旅立って、最果ての地まで到達した民族、それがヤーガン人。
ヤーガン人は、人類でもっとも遠くまで冒険をし続けた人達の末裔です。
ところが、彼らは、ヨーロッパ人がやってくると、疫病に対する免疫がなかったことや
ヨーロッパ人の入植者との闘争に負けて、私が行った時には2人しか残ってませんでした。
つまり、
もっとも遠くまで行った人類は、ものすごく弱い人達だったということです。
彼らは冒険家でも好奇心の強い野心家でもなかった。
おそらく、定住地を追い出された弱い者たちが、また次の地でもその中の弱い者が追い出されて、
と、繰り返すうちに、とうとう南米最南端まで来てしまったのではないかと思うのです。」

この関野さんの言葉は衝撃的だった。

”グレートジャーニーを成し遂げた人々は実はもっとも闘争力のない弱い人たちだったのだ。”

う〜〜〜〜〜〜ん、なんとなー。

そして、すぐさま僕は「日本列島に最初にたどりついた縄文人」について想いをめぐらせた。

kodai03.jpg

 

「縄文人も同じではないか」と


縄文時代の大きな特徴のひとつは、殺傷兵器を持たなかったということだ。
石器の槍など狩猟用の武器は持っていたが、人殺しの武器は持たなかった。
殺された骨も見つかってない。
ところが、弥生人が入ってくると、血なまぐさい殺し合いのあとがあり
人を殺すためだけの武器が大量に出てくる。

縄文人の集落も輪の形に建物が並べられていて、
ヒエラルキーのようなものは無く
集落の人々はほとんど平等だったと考えられている。

また、関野さんの話では、アマゾンのジャングルに今も住む
石器時代を生きる先住民族は基本的に殺し合いはしないという。

そう考えると、この極東の日本まで来た縄文人は、闘争に負け続けた弱い者たちなのかもしれない。
そして、彼らは殺し合いや権力争いを苦手とする、平和的で温厚な性格だったと考えてもおかしくないのではないか。
それによって、『D』(縄文人)はチベットやインド洋の島、日本列島という僻地に追いやられてしまった。

そして、その血がわらわれ日本人に流れている。
そう思うと「和をもって尊しとなす」日本は、なかなかイイではないか。


kodai04.jpg

 

 

 

home

Books

event

workshop

blog

profile

Tags

Web Analytics