ヒミコ様は九州おられたとよ!
2020.4.24
「邪馬台国はどこにあったのか」
その問題は、小学生の頃から、知りたくて知りたくて
でも、いつまでもたっても闇の中
もんどり打って、手足をバタバタさせて
あー、もう!ハッキリしてくれー!
と、気になってしょうがない日本史の謎であった。
高校の頃からは、
邪馬台国についての本やテレビ番組は大体目を通してきた。
そして、いつも新しい説に惑わされ、翻弄され
引き摺り回され続けたきた。
はじめ、自分が関西出身のせいで、ずっと近畿説をひいきにしてきて
近畿であってほしいと思ってきたが
のちに
明治以降、天皇家中心の政治体制を正当化するために
国をあげて邪馬台国近畿説を押してきたことを知ると
「なに~ 政治的陰謀があったのか!」
と急速に近畿説にさめ
九州説へと方向転換していった
しかも、吉野ヶ里遺跡の発掘が進み
九州説間違いなしか!と思ったら
なんと今度は奈良の纏向遺跡の大発見で、一気に
「やっぱり近畿なのか!?
やはりヤマタイはヤマトの前身だったのか!」
とうとうこれで決着なのか。
と思ってたのに
ここにきてグーの音も出ない説が出てきた。
もう決定的でしょう。
邪馬台国は九州です。
さらば 近畿説
「纒向は大和の元になった勢力かも知らんが、
邪馬台国じゃなか。
卑弥呼様は九州人ったい!近畿にはおらんばい」
さて
その決定的な説について
ちょいと長い話ですが
要点をかいつまんで申してまいりやしょう。
先日、BS12チャンネルで放送された邪馬台国の特集番組のことである。
ゲストは夢枕獏氏
番組の3分の2までは
九州説の裏付けと近畿説の裏付けが
それぞれ丁寧な取材と共に紹介された。
そして後半部分がなんと!
中国人の権威ある歴史家たち三人に
邪馬台国がどこにあったのかを検証してもらうというものだったのである。
そして結果は!
三人ともが九州だというではないか。
んで、この三人の論証の説得力が半端ない。
そりゃそうだ
何せ魏志倭人伝は中国の史書だ
餅は餅屋
なぜ今まで中国の専門家に聞かなかったのかと
当たり前のことではないか
おい、何十年もオメーラ何やってたんだ!
まあそれは置いといて
彼ら三人が揃っておっしゃるのは
「邪馬台国までの道程の記述」についてだ
これこそが日本では最大の論点となっている部分で
日本では長年、その解釈を巡って論争が続いていた
そ、そ、その最も重大な問題を
彼らは「全部無視してよし」と言い切ったのである
ワァオである
まぁじか!である
三人とも、
「異国についての報告書というのは
その道程は、全く間違っているものが多く
全く当てにならないから無視してよし」と
例として
もっと後の時代の日本に対する報告で
その場所を表す記述にもとづけば、メキシコあたりに日本があることになっちまうらしい。
確かに魏志倭人伝と同じだ。
魏志倭人伝の表記をそのまま解釈すると日本ははるか南方、赤道近くの太平洋の只中に浮かぶことになる。
ま、そんなこんなで道程、距離の記述は気にすんなと
では何故九州と断言できるのか
1、ヤマタイコクの「ヤマ」は九州のことである
中国の史書で異国の地名、国名は漢字には意味が無い。大事なのは音である。
末盧国(マツラコク)は松浦、伊都国(イトコク)は糸島、そして邪馬「ヤマ」は縄文の古代より九州北部をさす。
2、魏志倭人伝に出てくる国々の名は全て九州北部である
対馬国、奴国、伊都国、末盧国 全てが九州北部であり、
邪馬台国が九州から離れた場所にあるとは考えられない。
以上、ザン教授(古代文字の国家研究機関トップ、漢字学の権威)の論証
3、「邪馬台国の東に海」とあり畿内ではありえない
「女王国の東の海を…」という記述がある。国のすぐ東に海があるはずで、纏向(奈良)では当てはまらない。
陳教授(歴史学者、魏晋南北朝時代の権威)の論証
4、「長江の河口の東にある」とは、まさに九州である
魏志倭人伝に邪馬台国のある方向を「長江の河口の東にある」という記述からまさにそこは九州である。
5、「水田が少なく、海に入って海産物をよく食べる」大和でそんな風習はない
「良い水田無し。海に入り、アワビなど海産物をよく食べる」という記述から海の無い奈良、大和地方ではありえない。九州北部の海沿いである。
6、顔に刺青は、隼人(南九州)、熊襲(西九州)の風習
顔に刺青を入れているという記述から九州の風習の流れである。当時の畿内には顔に刺青の風習はすでに無い。
7、伊都国は邪馬台国にとって重要な拠点。そこから遠く離れてるはずは無い。
伊都国は非常に高い行政官「一大卒」また「ニキ」という官位や「副官」がいるほどの重要拠点。邪馬台国の外交を一手に担う場所だった。また、王がいて邪馬台国に属していたとある。遠く離れた場所からそのような重要な国を管理することはできない。邪馬台国は九州にあった。
8、馬も牛もいない交通網の貧弱さ。邪馬台国はやはり伊都国から離れてない
「牛馬なし」とあり、牛も馬も持ってない時代である。このことからも邪馬台国は伊都国からそうは慣れていないことがわかる。畿内など考えられない。
以上、シュウ教授(台湾大学、中国古代史、日本古代史にも精通)の論証
中国の史書における異国の報告書で、重要とされた情報とは、
国の規模、軍事力、文化や政治体制であり、その部分はかなり正確であるらしい。
そして、それ以外の部分はかなり間違いや写し間違い、他の時代との混同があって当てにならない。
そういう観点から、出た結論が「卑弥呼は九州にいた」だ。
ジャーン
これにて邪馬台国九州説VS機内説の論争は幕をおろしたのである
しかし、この情報が
BS12というメチャ地味なチャンネルで流れていのである。
無念である。
たまたま見つけて録画したけどね
誰が見てんねん!って
これ、NHKスペシャルなみのどえらいネタやで。
これも日本史学会の閉塞性がもたらしてるんやろね。
縄文文化の研究も外人が始まりやったし
そろそろ、弥生以降も外国のクールな目が必要なんやろう
魏志倭人伝の権威は日本人にあらず
魏志倭人伝は中国人に聞け