1987年のダンボール その1

2018.11.16

 

先日、親の遺品整理のために

姉たちや甥っ子が集まった。

 

夫婦が晩年まで溜め込んだものの量ときたら!

目がグルグル回るほど。

こりゃ、何度も来ないと片付かない。

三日目に、全部でどれぐらいあるか知りたくて

「倉庫って……、一体どうなってんねやろ。ちょっと見てみるか」と

離れの倉庫を探索してると

 

あ!

これは、

僕が大学を卒業して

東京に行くときにまとめた荷物。

 

1987年の段ボールが5つ。

 

両親が大阪から松坂に引っ越した際に

そのまま運ばれて、そのまま未開封のまま

離れの倉庫に置かれていたものだ。

本が6割、

あとはレコードと
学生時代と予備校時代の絵
それに大量のスケッチブック

 

ウエ〜。ナツカシスギル。

しばらく、作業は完全に停止。

中身を見て行く。

結局

「こんな荷物持って帰るわけにいかん」

と、ほとんどは捨てることにした。
しかし一部、懐かしてくて
「東京でゆっくり見てから捨てよう」と
段ボール一箱を東京に送ったのだった。

 

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まず、「宝島」
当時、サブカルチャーの情報誌として一部の若者に人気があった。

 

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パンクだのニューウェーブだのヘンテコ文化がニョキニョキ出てきた頃
カウンターカルチャーに敏感な子を

「とんがっている」と呼ぶようになったのはこの頃ではないだろうか。

 

しかし、見てるとみんな若くてビックリする。
糸井重里、坂本龍一、所ジョージ、ビートたけし

 

さて、「宝島」の連載で一番好きだったのは

この中島らもの「啓蒙かまぼこ新聞」だ。

 

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「かねてつ」の広告ページなのだが、
中島らもの才能が開花した頃で、

プレイガイドジャーナルの「たまらん人々」とともに
毎回、ゲラゲラ笑って読んでいた。

 

 

で、「宝島」が好きだった僕は当然

音楽はパンクやニューウェーブといった類のものが好きだった。

 

箱から出てきたムックのようなものにこんなのがあって

うお〜!嬉し恥ずかし!

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当時、大阪の田舎に住んでいた僕は

東京のバンドの情報が欲しくて欲しくて

聴きたくて聴きたくてしょうがなかった。

それで、音が聞けるわけでもないのに
こういう本を買って東京のロックシーンについて想像を膨らませていたのである。
そして、ライブに行くバンドの選定をしていたわけだ。

右の「ロッカーズ1983」には

RCサクセションの仲井戸麗二と憂歌団の内田勘太郎の

インタビューが載っていて
「そうか、やっぱりロックってブルースが原点なんかぁ」と

若き僕は、目からウロコを落としていたのだった。

 

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モノクロのグラビアページ↓ フリクションと大好きだったリザードのモモヨ(右)

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それから、左側の「日本のパンクロック」という
うっすくて、ヘロヘロの雑誌。
オール1色刷り!カラーページなし!
デザイナー不在のレイアウト。
わけもわからず通販で買いました。
当時の日本のパンクバンドを網羅しております。
さらに、バンドマンの相関図まで載せて、

誰がどこのバンドにいただの、喧嘩してやめただのと
田舎パンク少年の妄想を膨らませる内容満載であった。

 

その中でも、

リザードのモモヨやINUの西川成子、ゼルダの小嶋さちほなどの

哲学的な文章は、

「かっこええわぁ」と
やはり田舎パンク少年の心をうっとりと陶酔させるのには

充分すぎるのであった。

 

punk2.jpg

 

 

punk1.jpg

 中央にモモヨ、左から二番目にフリクションの恒松正敏が確認できる。

 

 

と、こんな感じで

1987年の玉手箱について

何回かに分けて書こうと思う次第である。

 

 

 

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