懐かしの故郷を巡る
2020.2.17
去年の12月、応援カレンダーのイベントで故郷である大阪の高槻へ。
ブログに載せるには古い話だが
インフルエンザ、仕事の締め切りなどあって
UPできなかったのだ。
長い長い記事になるけど、自分の記念のために書いておこう。
さて
イベント前日に高槻に入り
当日朝、いつものようにジョギングに
せっかくなので懐かしい場所に行こうと
まずは、高校へ。
高校に行く手前にある高槻カトリック教会。
夜明け前で、照明が綺麗だった。後ろのドームが見えてないのが残念。
一軒挟んだ隣にある野見神社。高校生の頃、時々フラフラとお参りした。
母校である。当時は島上高校という名前だった。
↓こっちは、再び10時ごろ再訪した時の写真
門が開いてたので、ちょこっと入らせてもらう。
美術室へ向かう通路。右はテニスコート。左は倉庫だったが食堂に。
美術室。なんとか窓の外から撮影。
ダビデの石膏像が無くなって床が油引きから変わっているが、他は当時の面影が残る。
二階の渡り廊下。美術部の発表はここに展示した。明るくてここ好きだったなぁ。
渡り廊下の本校舎側。
3年の時、なんだかムシャクシャしてて理由もなくヤンキーウメキと大喧嘩した場所。
忘れられない。
本校舎の廊下。床は木で油引きだったが、リノリウムに変わっていた。
でも、イニシエ感はかなり残っていて嬉しい。
3年3組になっているが、当時は僕がいた3年2組の教室。
全く変わってない!可愛い!
よく、出席だけ取ったら、授業を途中で抜け出した後ろの出口。
驚いた。エアコンが3台もあるではないか。
どれだけ冬寒く、夏暑かったか!
もと購買部の前から正門を望む。
今見ると、歴史が古い学校だけあって植栽がカッコイイじゃないか。
この学校は、高槻城跡にドンと立っていて、隣は堀のある城跡公園。
右に、キリシタン大名である高山右近の像が立っている。左奥が高校校舎。
小学校時代、よく遊んだ城跡公園の「タコの滑り台」。
まだあったのか。
ただし、こんなダサいペイントは無かったけどね。高槻市役所のセンス疑うわ。
ここは、放課後または授業をさぼって高校生たちがデートに使った場所でもある。
さて、高校を出て、あまりの懐かしさに
思い切って実家があったところまで走ることに。
通学路
国道170号線からムネカタに入ったところ。
全然変わってない!
向こうに新幹線がの高架が見える。
冠小学校。ここもほとんど変わってないなぁ。
小学校の通学路。
当時はあぜ道でカエルを捕まえたり、カブトエビを獲ったりしながら通ったけど
田んぼはもう、わずかしか残っていない。
冬はタンボの真ん中を歩いて通ったなぁ。
実家のあった場所まで50メートル。
遊びまくった空き地。すごく狭く見える。
こんな狭かったんだ!
野球、探偵、コマ鬼、怪獣ごっこ、しけい。あらゆる遊びをここでした。
もと実家の前。
堤防に向かうあぜ道は健在!
右側はすっかり家が立ってしまった。
毎日家からみた景色。
田んぼは半分になってしまったけど、まだこれだけ残っていた。
堤防に上る石橋。
コンクリートの板になってるけど、当時は4本の石の柱だった。
橋がまたいでいる水路は、
当時は、綺麗な小川で、メダカやドジョウやクサガメがいっぱいいた。
堤防の上から。
この淀川の広い河原が僕らの遊び場だった。
右側のゴミ処理場に何度も忍び込んで遊んで、何度も怒鳴られて追いかけられた。
さて、ここまで来たら中学まで行ってみたくなって
中学までの通学路を走ることに。
高校も中学も自転車通学だったので結構遠いのだけど
どうしても行ってみたくなった。
尊重寺。
この寺は、毎日夕方5時に鐘をつく。
ここの鐘の音で時間が分かった。
除夜の鐘も、ここの鐘。
中1のとき、朝の登校途中に、自転車ごと落ちた水路!
当時は柵もなく、コンクリートでもなく、
自然のままの土で、岸には草の生えた小川だった。
もらったばかりの教科書やノートがドボン。
一年間、ボコボコの教科書を使わなくてはならないという
大失敗をやらかした忘れられない鬼門。
冠須賀神社。
中2の時、境内にあるグルグル回る円盤のような遊具に乗っていて
友達の西くんがふざけてビュンビュン回すので
気持ち悪くなって激しく嘔吐する。
回り始めると、とてもじゃないが降りられなくなり
最低の顛末を迎える恐怖の遊具である。
さて、母校高槻第6中学校である。
正門が開いている。
ちょっと失礼して。
あ、校舎の入り口も開いている。
ゴメンくださーい!と小さい声で断りを入れてはいる。
ギョエー!懐かしすぎる。卒業以来はじめて歩みれた母校。
階段の登り口。あ、土禁になったんやね。
保健室。
戸が昔のまま。使用感がすごい。
体育館。
体育館の靴脱ぎ場。全く変わってない。
このスノコ、昔のままなんちゃう?
な訳ないか。
プールサイドは人工芝的な安そうな敷物が。
多分、どうしようもなく汚くなったんやろうな。
プール横。
ここは暗渠になっていて、下には川が流れている。
途中に四角いグレイチングがあるのがわかるだろうか?
そのグレイチングを外して下に降りれば
上を通った女子のパンツがグレイチングの隙間から見えるのではないか!と
物凄いアイデアを思いついた友人と実行に移すが
逆光でスカートの中は真っ暗。
パンツなど全く見えず、志半ばで断念した思い出が蘇る。
体育の用具入れ。
このグランドの端っこが陸上部の拠点であった。
そして、なぜか女子体操部もここを拠点として活動していて
なんとなく、いつも気まづい空気が流れていた。
廊下の東の端にある手洗い場。
中1の初め、ここで手を洗って離れようとした僕に
隣で手を洗っていた背の高い女子が
突然に
「ちょっと。ポケットからハンカチ取ってよ」
と言ってきた。
知らない女子だし、大きい子だし、ポケットどこわからんし。
「????」と固まっていたら
「もう!早くしてよ!」と怒り出した。
そしてそう言いながら、
プリーツスカートの腰をこっちに側にクイクイと動かすのである。
どうやらプリーツスカートには折れ目に隠れてポケットがあるようだ。
しかし、女子のスカートのポケットに
中1の男子が手を突っ込むなど、できようはずがないではないか。
と、躊躇してるとその女子は
「もぉう!!なにしてんのよ!早よハンカチ取ってよ!」と
カンカンに起こり出すのである。
しょうがなく、恐る恐るポケットに手を入れハンカチを取り出して渡すと。
その子はすかさず「チッ!」っと舌を鳴らし
お礼も言わずに行ってしまったのである。
僕は、圧倒的に生徒の少ない小学校から来て、
ほとんど知らない生徒ばかり。しかも12クラスもあり。
中学とは、予想を超えて未知なところなのだと、つくづく感じた事件であった。
3年2組の教室。
いつもここから新幹線が間近に見えた。
北側の風景。山並みが綺麗だ。
高槻はどこにいてもすぐ近くに山が見える。
東京に出て高円寺に住んだけど、
関東平野が広すぎて山が全く見えなかった。
ある日、立川駅に行った時、今は無き西のコンコースの窓から山が見えた。
「ああ、ここからなら山が見えるんだ!」
しばらく立ちすくんで、向こうに見える丹沢あたりの山を眺めていた。