『こんにちは!わたしのえ』
2020.7.24
10年ほど前から「絵本にしたい」と思っていたテーマの作品が念願叶って出来上がった!
それがこの新刊絵本『こんにちは!わたしのえ』だ。
この絵本は、
音痴な僕が、お風呂で歌を楽しく歌うように
「絵を描くのって、たのしい!きもちいい!」そんな感覚を絵本にしたつもり。
とにかく誰にも見せるつもりもない絵を
めいっぱい楽しむ。
心が気持ちいいって感じるままに描く。
そして描き終わったとき
「あー、きもちよかった!」って言葉が出る
そんな時間を味わってほしい絵本。
はじめ、こういうことを考えてた。
鼻歌を歌うように絵を描くことを楽しめる人はとても少ない。
これは勿体無いじゃないか。こーんなに楽しいことなのに。
ならば、
せめて子ども達に「絵を描くって気持ちいい。それだけでいいんだぜ」っていう大人がいることを知っておいてほしいなと考えたのだ。
「絵を描くこと」は、とっても原始的で感覚的なことで、
しかもまったく個人的なこと。
誰だって線を引いたり、色を塗ることは面白い。
少なくとも幼い頃はそうだったはずなのだ。
ところが、5、6歳の頃から
「絵を描くのは三次元の形を忠実に二次元に落とし込むこと」で、
それを上手にできないことは「ヘタクソな絵」と言われて、
なんと非難の対象になってしまう。
どんな絵を描こうが誰にも迷惑なんてかけてないのに。
これは「きみの顔は醜いね」と言っているのとほとんど変わらないんじゃない?
なんで他人に自分の顔や楽しく描いている絵を避難されなきゃいけないのか。
ところが世の中は顔を批判するのはいけないことだけど、
他人の絵をけなすことにはとっても寛容なのだ。
そうやって人は、5、6歳になるとそんな世の中のルールを学習し始める。
そうすると、歳を追うごとに頭の中は、
常識となってしまった「絵の評価基準」から逃れることができくなって「ヘタクソは恥ずかしいこと」、「迷惑なこと」と思い込んでいってしまう。
小学校の高学年ともなると、
図工の時間は、一部の子どもだけが楽しく率先して絵を描き、
その他大勢の子は恥をかかないようにということだけを考えて
絵に向かう苦痛の時間となっていく。
もちろん、それを分かっている先生もいることだと思う。
しかし、一部の先生や、遠い存在の芸術家だけでは
残念ながら、この常識を変えることは難しい。
だからせめて、さっきも書いたように
「絵を描くって気持ちいい。それだけでいいんだぜ」っていう大人たちがいることを
小さいうちに絵本を通して知っておいてほしいと思うのだ。
さて、
実はもともと
僕は絵本ではなくて、ワークショップを通して、こういう考えを伝えてきた。
はじめてワークショップの依頼をされたときから
絵本では出来ない、もっと解放された創作の時間を体験させたいと思ってやってきた。なぜなら絵本ですら「絵はこの絵本みたいに上手に描かないとダメですよ」という概念を与えかねないものだからだ。
だから、自分が毎日やってることとは逆の「絵のたのしさ」を伝えようと、そう考えたのだ。
始まりの導入で、
子ども達の頭の中の既成概念を出来るだけ解放してあげる。
その上で
自由で楽しい「絵」や「創作」の時間を体験してもらう
大きな紙や豊富な材料、
その中なら、すべてがオールオッケイな時間。
出来上がったものを評価するんじゃなくて、
描く、作る、すべてが自分の手から生まれてくる面白さを体験することが大事なんだと思える、
そういうワークショップをめざして。
この絵本の終わり方は、
こういう気持ちが込められている。
結果を求めない、
まずはライブ。
一瞬一瞬の輝きを感じることが宝物になるのだ。
音楽のように、命に終わりがあるように。