南相馬市の津波の被災地を見てきました。

2014.6.18

 

南相馬市のワーククショプのあと、津波の被災地を見てきました。
西さんのガイドで海岸のそばまでいき、さらに原発からも10キロの地点まで行ってきました。
南相馬は原発から近いせいで、未だに津波の被災地がそのまま放置されている所がほとんどで、
生々しい傷跡をそのまま残していました。
そんな中、政府は20キロ圏まで避難区域を解除しようとしていますが、
いったい、このような状態の場所でどうやって暮らすというのでしょうか?

避難区域ではない南相馬市では、一時避難から戻って暮らしている方々がたくさんいます。西さんや今回会った、小学校の子ども達もそうです。さらに20キロ圏内から避難し、南相馬市の仮設住宅で暮らす方々もいます。
その方々とお話をすると、みな熱い郷土愛をもっていて、なにかこみ上げるものがありました。
遠くから見ていると、なぜそんな場所でくらしてるのかなと、疑問に思うことがありましたが、実際に行って、見て、触れて、話をしてみると、南相馬の方々は、とにかく純粋に地域を愛しておられました。だから、そこでの生活に対して、僕たちは簡単に疑問視できるものではないなと感じました。
でも、それだけに、原発事故と政府のやり方に怒りを覚えずにはいられません。


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↓強靭な防波堤が津波に上から叩き付けられて、破壊されてました。

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↓この大量のテトラポットは、なんと!防波堤を越えて流されてきたそうです。
津波の強さ恐るべしです。

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この辺りで福島第一原発から10キロ。この向こうは浪江町。

↓南相馬市は意外に線量は低く、僕の住む東京の多摩地区と大差ありませんでした。
ただし、山間部や川、海は線量がたかく子どもたちが遊べる日は遠いそうです。
しかしですね。まだこんな状況でですよ。オリンピックなんてどうなんでしょう。
まだまだ被災した方々にやらなければならないことが山積みです。

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↓車で避難地域の飯館村を通りました。さすがに線量がたかく、車内ですら、僕のガイガーカウンターは警戒音が鳴りっぱなしでした。原発からの距離は南相馬市のほうがずっと近いのですが…。

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こういう野原がずーっと続いてました。水田だったのか、牧草地だったのか。

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↑飯館村の商店街?さびれた風景が続いています。


↓福島市の駅前でも計ってみましたが、高くて驚きました。
場所によりますが、土のある場所だとかなりの確率で高いです。
放射線物質は、距離ではなく、風や、雨で落ちる所が決まるんだなと。
福島の駅前を歩いたところでは、南相馬市にあったような線量を計る機器はみあたりませんでした。
なんででしょう?

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このレポートをアップするか迷いましたが。地元の西さんが「ぜひ現状をみてほしい」とのことでしたので、アップすることにしました。

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